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ジョン・F・ケネディ

ジョン・F・ケネディ

ニューフロンティア

1917–1963 · アメリカ・マサチューセッツ州ブルックライン

政治家 · アメリカ大統領 · 民主党 · 第二次大戦の退役軍人 · ピューリッツァー賞

国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国に何をできるかを問いなさい。

アメリカ合衆国第35代大統領(1961〜1963年)。アイルランド系カトリックの名門政治家一族に生まれた第二次世界大戦の海軍退役軍人で、連邦下院議員・上院議員を務めた。1960年の当選時には選挙で選ばれた史上最年少の大統領となり、1963年にダラスで暗殺された。

生涯

ジョン・F・ケネディはマサチューセッツ州ブルックラインのアイルランド系カトリックの家庭に生まれた。父は実業家であり外交官でもあり、九人の子どもがいる家庭だった。幼い頃から体が弱く、何度も入院し、背中などの問題は生涯つきまとった。だが恵まれた家庭環境と政治色の濃い雰囲気が、のちの公的生活への道を整えた。

彼はハーバード大学で学業を終え、第二次世界大戦中は海軍に身を投じ、魚雷艇PT-109の艇長を務めた。ある夜戦でこの艇は日本軍の駆逐艦に衝突されて沈没したが、彼は生き残った乗員を率いて泳ぎ、救助にこぎつけた。この経験はのちに広く知られる一頁となった。戦後は政界に転じ、下院議員、続いて上院議員に当選し、著書『勇気ある人々』でピューリッツァー賞を受賞した。

1960年、彼は民主党の大統領候補指名を勝ち取り、アメリカ史上初のテレビ生中継による大統領討論に臨み、最終的にわずかの差で当選した。就任時、彼は選挙で選ばれた最年少の大統領であり、同時にアメリカ初のカトリック教徒の大統領でもあった。就任演説では「国があなたに何をしてくれるかを問うな」と呼びかけ、自らの施政方針を「ニューフロンティア」という言葉に集約した。

彼の任期は冷戦の緊張した年月にあたった。ピッグス湾事件の挫折、キューバ危機での米ソの対峙は、いずれも厳しい試練となった。彼はまた宇宙計画を推し進め、十年以内の月面着陸という目標を掲げ、ソ連・英国とともに部分的核実験禁止条約に署名した。内政では公民権について演説し、関連法案を推進したが、それらは彼の死後に成立した。

1963年11月22日、彼はテキサス州ダラスで暗殺された。享年わずか46歳で、副大統領のリンドン・ジョンソンがその日のうちに継承した。公式調査は事件について結論を示したが、その経過や背景をめぐっては、長年さまざまな異説や疑問が存在してきた。評価はどうあれ、その短い任期、感染力のある演説、そして突然断ち切られた生涯は、彼を20世紀アメリカで最も繰り返し語られる政治家の一人にした。

生涯年表

名門の少年1917–1936

マサチューセッツ州のアイルランド系カトリック政治家一族に生まれ、幼少期は病弱ながらも恵まれた環境で育つ。

ハーバードと海軍1936–1945

ハーバード大学を卒業し、第二次大戦では海軍の魚雷艇PT-109の艇長を務め、沈没後に乗員を救助した。

政界へ1946–1959

連邦下院議員・上院議員に当選し、著書『勇気ある人々』でピューリッツァー賞を受賞。

大統領選への挑戦1960–1960

初のテレビ大統領討論を経て、わずかの差でアメリカ大統領に当選した。

ホワイトハウス入り1961–1962

「ニューフロンティア」を掲げ、ピッグス湾事件とキューバ危機を経て、宇宙計画を推進した。

内政と外交1963–1963

公民権問題を進め、部分的核実験禁止条約に署名し、月面着陸とベルリンの演説を行った。

ダラスでの暗殺1963–1963

11月22日にダラスで暗殺される。公式調査のほかにも多くの疑問が残された。

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