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チャーチル

チャーチル

戦時の首相

1874–1965 · イギリス・オックスフォードシャー州ブレナム宮殿

政治家 · 首相 · 作家 · 軍人 · 第二次世界大戦 · ノーベル文学賞

決して屈するな。

イギリスの政治家・作家・軍人。二度にわたり英国首相を務め、第二次世界大戦中は英国を率いて戦局に対処し、戦後も国際政治の重要人物であり続けた。歴史・伝記の執筆によりノーベル文学賞を受賞した。

生涯

ウィンストン・チャーチルは1874年、イギリスのオックスフォードシャー州ブレナム宮殿に生まれ、名門スペンサー・チャーチル家の出身だった。祖父はマールバラ公爵、父は保守党の政治家ランドルフ・チャーチル卿、母ジェニー・ジェロームはアメリカ人だった。少年期にはハロー校、次いで王立陸軍士官学校サンドハーストに学び、やがて軍人の道を歩んだ。

卒業後は騎兵将校となり、従軍記者としてインド、スーダン、南アフリカなどを転々として多くの戦役を体験した。南アフリカのボーア戦争では捕虜となった後に脱走し、その名を高めていった。この経験は生涯にわたる執筆活動の始まりともなり、見聞きしたものを幾冊もの従軍記に著した。

1900年、チャーチルは初めて下院議員に当選し、以後長きにわたり英国政界で活躍した。保守党と自由党の間を渡り歩き、貿易院総裁、内務大臣、海軍大臣、財務大臣など多くの要職を歴任した。第一次世界大戦中はダーダネルス・ガリポリ作戦の失敗により海軍大臣を辞任し、一時は前線で従軍するなど、その政治生涯は幾度も浮き沈みした。

二つの大戦の間、彼は一時権力の中枢から遠ざかり、1930年代には再軍備や対独政策についてたびたび主張を発表した。1940年、戦局が厳しさを増すなか首相に就任して挙国一致内閣を組織し、戦時中は英国を率いて抵抗を貫き、アメリカやソ連などの連合国と協力してテヘラン、ヤルタなどの首脳会談に臨み、枢軸国に対する戦略を調整した。

ヨーロッパ戦線の勝利後、彼の率いる保守党は総選挙に敗れ、チャーチルは一度首相を退いて野党党首に転じた。1946年にはアメリカで、ヨーロッパの分断を「鉄のカーテン」と形容する演説を行い、冷戦を象徴する言葉の一つとされた。1951年に再び首相に就任し、1953年には歴史・伝記の著作によりノーベル文学賞を受賞した。

晩年のチャーチルはなお執筆に励み、絵画を楽しみとして多くの作品を残した。1955年、健康上の理由などから首相を辞任し、1965年にロンドンで90歳で世を去り、英国は国葬をもって彼を送った。後世の評価がいかに分かれようとも、彼は二十世紀のイギリスと国際政治において影響の大きい人物の一人である。

生涯年表

貴族の出自と学び1874–1894

名門スペンサー・チャーチル家に生まれ、ハロー校、次いで王立陸軍士官学校サンドハーストに学んだ。

軍歴と従軍記者1895–1900

騎兵将校となり記者としてインド、スーダン、南アフリカなどへ赴き、多くの植民地戦役に参加して従軍記を出版した。

初期の政治活動1900–1914

下院に入り、保守党から自由党へと移りつつ複数の閣僚職を歴任し、社会改革を推し進めた。

第一次大戦とダーダネルス1914–1918

海軍大臣を務め、ダーダネルス作戦の失敗後に辞任し、一時西部戦線で従軍したのち内閣に復帰した。

両大戦の間1919–1939

複数の要職を経たのち一時権力の中枢から遠ざかり、1930年代には国防と対独政策についてたびたび発言した。

第二次大戦と戦時首相1940–1945

1940年に首相に就任し、戦時中は英国を率いて連合国と協力したが、戦争終盤の総選挙で敗れた。

戦後と晩年1945–1965

「鉄のカーテン」演説を行い、1951年に再び首相となり、ノーベル文学賞を受賞し、死後は国葬に付された。

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